リモートワークの功罪

先日,IT系企業の方とお話しをしていて,リモートワークの功罪について興味深いことを伺いました。

日々の仕事がリモートになると,だれがどれくらい仕事ができるのか,お互いはっきりと見えてしまうそうです。

良い面としては,成果が「みえる化」され,進捗や計画がクリアになってくること。対面であるがゆえに,対人関係でソフトフォーカスされていた部分がクリアになり,仕事の成果や基準が明確になります。

一方,困ったこととして,自分がどれだけ貢献できていないが残酷なまでに認識できてしまうことだそうです。場所と存在を共有していれば,直接の貢献はなくても組織のためには役立っているよねというふんわりした価値もありそうです。しかし,リモートワークでは今のところ目に見える価値以外は削り取られるので,アウトカムがない人は自分の存在価値を見出しにくいかもしれません。

職種にもよると思いますが,リモートワークによって,自分がこの職空間にいてもいいのかどうか悩んでいる人も多いのではないでしょうか。リモートワークは働き方改革だといいますが,人が働き方を変えているのではなく,働き方が人の存在価値を変えてしまいそうです。

 

考えてみると,我々はリモートワークを標準として働くためのリモートコミュニケーションの方法論をまだ持っていません。そりゃそうですよね。進化の過程でこのようなコミュニケーションの形態はなかったわけですから。それ故に従来の研究は,慣れ親しんだ対面コミュニケーションの方法をいかにリモートで再現するかという代替手段をめざしていました。しかし果たしてそれがリモートワークにとってベストなソリューションなのでしょうか? もしかすると,最初からリモートコミュニケーションというまったく新しいモダリティを開発すべきなのかもしれません。 そのうち,対面のネイティブコミュニケーションスキルより,リモートコミュニケーションスキルを持っている学生の方が,就活には有利 なんて日がくるかもしれませんね。

 

研究室のゼミ・打ち合わせでもリモートで行うことの限界を感じています。リアルな議論を経験してきた修士学生は,その代替としての議論の場もイメージできると思いますが,これから研究をスタートする4年生には,議論の場を共有するという感覚が持ちにくいはずです。これからどのようにできるか考えてみたいと思います。